自己陶酔型悲劇のヒロイン
今日が卒業式だという患者がみえた。
この間は振袖の女性を見かけた。コロナ禍の中旅立つのはそれなりに大変だろうと思うが、他人事のように頑張ってほしいとは思う。
それとは別に旅立った人がいた。
祖母のような人である。祖母ではない。明るくて元気でポンポン言葉が出る人であった。
母の大切な人であった。なので、母がへこんでいるのがありありと分かる。
明日葬式へ二人で行くつもりである。
母が慌てた様子で電話に出た時に「あ、亡くなったんだろうな」と思った。
その後、母は別に何も言わなかった。
私の朝食の準備をする母に「私は自分でできるから自分の準備をしなよ。」と言ったら、母は葬式について話し始めた。
流石に察しているのだろうと思って話したのだろうが、私はまだ「その人が亡くなった」とは聞いてない。聞いてなくても分かるが。分からざるを得ないが。
母がそれを口にしたくないのか、忘れてるのか、意識的になのか無意識からなのか分からない。
といったように私は母の顔色を心配していた。
勿論悲しいだろうから涙は出た。でも、私の涙は簡単に出るし、悲しみの度合いは母程ではないような気がする。
現に今、私は普通に仕事をし、何なら笑いもできる、普段通りだ。
多分バラエティを見てて笑いもできるんだろう。当事者のように悲しみながら。
でも多分その悲しみは作った物なんじゃなかろうかと思う。
きっと今夜もすやすや眠ると思う。我ながら薄情な気もする。
ぎゃんぎゃん泣きながら、多分私はものを考えられるんだろう。
私自身が傷つくことは無いから。
多分明日の葬式で私は泣くだろう。
でも、どこか心の隅で、「何時に終わるのかな」と思ってしまうのだろう。
凄くお世話になったのに、情が無いのかと自分でも言いたくなる。
私は優しくなんかなくて、自己陶酔型なのだ。
悲劇のヒロイン気取りの薄情もんなのだ。